テレビや政治の世界で歯に衣着せぬ発言を続けてきた田嶋陽子さん。
フェミニズムの第一人者として知られ、強い信念と鋭い視点で多くの人々に影響を与えてきました。
そんな田嶋陽子さんですが、
「一体どんな経歴を持っているの?」
「どんな家族に育てられたの?」
と、意外とプライベートな情報は知られていない部分も多いですよね。
本記事では、田嶋陽子のプロフィールをwiki風にわかりやすくまとめ、さらにその家族構成や生い立ちについても詳しくご紹介します。
また、現在結婚して子供はいるのか、元旦那や結婚歴も徹底調査しました。
彼女の言葉や行動の背景にある“人生ストーリー”を知れば、また違った視点で彼女の魅力を感じられるはずです!
田嶋陽子のwiki風プロフィールと家族構成まとめ!

wiki風プロフィール
名前:田嶋 陽子(たじま ようこ)
生年月日:1941年4月6日
年齢:84歳(2025年7月現在)
出身地:岡山県浅口市生まれ、静岡県沼津市育ち
職業:女性学研究家、英文学者、政治家、タレント、歌手、書アート作家。元法政大学教授、元参議院議員
専門:英文学、女性学。フェミニズムの第一人者
趣味:書道、水彩画、シャンソン。還暦を過ぎてからシャンソンと「書アート」を始める
座右の銘:「何事もいつも一人から始まる」
年代・時期 | 経歴・実績 | 詳細 |
---|---|---|
1941年 | 誕生 | 岡山県に生まれ、静岡県沼津市で育つ |
幼少期 | 戦時中の生活 | 満州や母の故郷の新潟で過ごす |
1964年 | 津田塾大学学芸学部卒業 | 大学教育を修了 |
1969年 | 津田塾大学大学院博士課程修了 | または単位取得満期退学 |
1970年 | イギリス留学 | 奨学金を得てTHE BELL SCHOOL OF LANGUAGES IN CAMBRIDGEへ |
1971年 | 非常勤講師就任 | 津田塾大学・東京女子大学で非常勤講師 |
1972年 | 法政大学専任講師 | 法政大学第一教養部専任講師に就任 |
1974年 | 法政大学助教授 | 助教授に昇任 |
1976年 | 法政大学教授 | 第一教養部教授に昇任(専門:英文学・女性学) |
2001年7月 | 参議院議員当選 | 社民党比例区で当選、法政大学を辞職 |
2006年頃 | シャンソン歌手活動開始 | 音楽活動をスタート |
2012年10月 | メジャーデビュー | 「ひいふうみいよう」で徳間ジャパンから |
2015年3月より | 書アート個展開催 | 毎年個展を開催 |
2019年 | 内閣総理大臣賞受賞 | 第50回記念新美展で作品「娑婆」が受賞 |
2023年 | 新美大賞受賞 | 作品「一」で受賞 |
2024年7月 | 第9回書アート個展 | 東京・青山で開催(7月5日〜10日) |
2025年6月 | 文部科学大臣賞受賞 | 第53回新美展でバティック作品「楽」が受賞 |
時期 | 経歴・実績 |
---|---|
1941年 | 岡山県に生まれ 静岡県沼津市で育つ |
幼少期 | 満州や新潟で 戦時中を過ごす |
1964年 | 津田塾大学 学芸学部卒業 |
1969年 | 津田塾大学大学院 博士課程修了 |
1970年 | イギリス留学 ケンブリッジ語学学校 |
1971年 | 津田塾大学・東京女子大学 非常勤講師 |
1972年 | 法政大学 専任講師就任 |
1974年 | 法政大学 助教授昇任 |
1976年 | 法政大学教授昇任 (英文学・女性学) |
時期 | 経歴・実績 |
---|---|
2001年7月 | 参議院議員当選 (社民党比例区) |
2006年頃 | シャンソン歌手 活動開始 |
2012年10月 | 「ひいふうみいよう」 メジャーデビュー |
2015年〜 | 書アート個展 毎年開催 |
2019年 | 新美展 内閣総理大臣賞 |
2023年 | 作品「一」 新美大賞 |
2024年7月 | 第9回書アート個展 東京・青山 |
2025年6月 | バティック作品「楽」 文部科学大臣賞 |
家族 | 特徴・経歴 | 田嶋陽子への影響 |
---|---|---|
父親 | 戦後復員、沼津で酒屋経営、60歳で死去 | 家父長制の典型、共学進学を阻止、フェミニズム思想の原点 |
母親 | 満州から帰国、脊椎カリエス患者、専業主婦 | 厳しいしつけ、矛盾した教育方針、46歳まで葛藤継続 |
弟 | 7歳年下 | 4人家族の一員 |
時期 | 関係性 | 内容 |
---|---|---|
幼少期〜46歳 | 葛藤期 | 母親の厳しいしつけ、「勉強しろ」と「女らしくしろ」の矛盾 |
46歳頃 | 理解期 | 「抑圧の連鎖」を理解、母親も祖母に苦しめられていた |
母親の晩年 | 和解期 | 母親が謝罪、NHK番組でも和解が描かれる |
和解後 | 解放期 | 女性嫌悪がなくなり、自分自身も解放される |
家族 | 特徴・影響 |
---|---|
父親 | 戦後復員、酒屋経営 家父長制の典型 共学進学を阻止 |
母親 | 満州から帰国 脊椎カリエス患者 厳しいしつけ |
弟 | 7歳年下 4人家族の一員 |
時期 | 関係性 |
---|---|
幼少期〜46歳 | 葛藤期 矛盾した教育方針 厳しいしつけ |
46歳頃 | 理解期 「抑圧の連鎖」理解 母親の苦悩を知る |
母親の晩年 | 和解期 母親が謝罪 NHK番組で和解 |
和解後 | 解放期 女性嫌悪がなくなる 自己解放 |
「“女らしくしろ”という抑圧に苦しみ
— NHKハートネット (@nhk_heart) July 28, 2025
ずっと生きづらさを感じてきました」
母の呪縛に苦しみ続けてきた#田嶋陽子 さん。
自分を取り戻すキッカケとなった存在とは?
7/29(火)本日夜8時 Eテレ ハートネットTV
→https://t.co/BtMApCjJ32#私のリカバリー
「自分を取り戻すための闘い 田嶋陽子」 pic.twitter.com/j1ImMoA59q
田嶋陽子は高学歴だし、海外の留学経験もある本当に凄い人だな~。
両親のしつけはとても厳しかったみたいで、相当大変な日々を送ってただろうね。


2025年現在も、84歳でありながら、「自分らしさ」をモットーに生き続けているんだよ。
自分の生きたい人生を貫くのは大事だと改めて感じさせくれる。
【2025最新】田嶋陽子の旦那は誰?結婚して子供や家族はいるのか徹底調査!

結論から言えば、田嶋陽子は現在独身ですので、旦那はいません。
2025年7月29日現在、結婚に関する報道やご本人のコメントなどは一切見つかっていません。
つまり、子供もいないということになります。
とはいえ、田嶋陽子さんは現在84歳。
年代的にはご結婚されていて、お子さんやお孫さんがいてもおかしくない年齢ですよね。
じゃあ、なぜ結婚しなかったの?

結婚しなかった理由は“制度”への違和感?
実は、田嶋陽子さんが結婚しなかった背景には、結婚制度そのものへの強い疑問や批判的な考えがあるようです。
田嶋さんは、あるインタビューでこんなふうに語っています。
「あんな奴隷制度に入っちゃいけない」
参照:プレジデントオンライン
この言葉からもわかるように、彼女は結婚という制度を“個人の自由を奪うもの”として捉えていたようです。
特に女性が結婚すると、
名字の変更、出産、育児、家事といった「当たり前」とされる役割を押しつけられることに疑問を感じていたとのこと。
たしかに、結婚すると家族のために多くの時間やエネルギーを割くことになります。
自分自身の時間や自由を持ちづらくなる場面もありますよね。
「ただの人間」でいられる自由な人生を選んだ
また田嶋陽子さんは、女子高で教鞭をとっていた時代について、「ただの人間として見てもらえた」と話しています。
性別ではなく、“人として”評価される環境に居心地のよさを感じていたようです。
そういった価値観から考えると、無理に結婚や家庭に縛られるよりも、自分らしく生きる道を選んだというのは、田嶋さんらしい選択です。
田嶋陽子に元旦那はいたの?84歳の結婚歴はいかに...

田嶋陽子さんは、これまで一度も結婚したことがありません。
つまり、元旦那もいなければ、結婚歴もゼロなんです。
これは少し意外に感じる方もいるかもしれませんね。
実際、厚生労働省の調査データ(平成30年)によると、日本国内で結婚したカップルのうち、妻が再婚だったケースは全体の16.9%とのこと。
つまり、花嫁さんの約6人に1人が「再婚」という現実があります。
参照:女子SPA
この統計から考えると、
人生で一度も結婚を経験していないという田嶋陽子さんは、かなり珍しい存在と言えるかもしれません。
でも、だからといって「恋愛経験がまったくないのか?」というと、実はそうでもないんです。
田嶋陽子さんは若い頃、イギリス人男性との大恋愛を経験したことがあると公に語っています。
それはまさに「身を焦がすような恋」だったようで、今でも心に残る特別な想い出のようです。
このあたりの詳しいエピソードについては、次の見出しで深掘りしていきますので、気になる方はそのまま読み進めてくださいね。
田嶋陽子に元カレがいた!?恋のお相手はまさかのヨーロッパ貴族だった...
田嶋陽子さんは若い頃に、ヨーロッパの貴族出身の男性と交際していました。
時は1970年、田嶋さんが大学院を修了した後、奨学金を得てイギリス・ケンブリッジ大学に語学留学していたときのこと。
その語学クラスで出会ったのが、3歳年下のイギリス人男性・ルイでした。
《大学院を出た後の70年、奨学金で英国ケンブリッジへ語学留学。ある恋愛を経験する》
同じクラスで3歳年下のルイ。ひょうきんな人気者でした。
クリスマスとイースターに、ベルギーの実家に招かれました。そこはまさにお城そのもの。
朝日新聞
まるで映画のような王子様のルイさんに心惹かれて、ふたりは自然と交際をスタート。
でも……プロポーズは断った!その理由とは?
そんな中、ルイさんからプロポーズを受けた田嶋さん。
でも、彼女はその申し出を断ってしまいます。

え!?なんで断ったの?
その理由は。。
「彼の実家で目にした貴族女性の生活様式」に違和感を覚えたから。
実際、田嶋さんは当時の心境を次のように語っています。
「彼に連れられて行ったブリュッセルの社交界はとてもまぶしかったけれど、私はペンと机の書生生活に戻りたかった」
つまり、豪華で華やかな世界よりも、「自分の頭で考え、学び、自由に生きる道」を選んだというわけです。
恋愛自体はとても素敵なものだったのでしょうが、やはり田嶋陽子さんにとって何よりも大切だったのは「自分らしく生きること」。
「結婚=女性が男性に従属する制度」と感じていた田嶋さんだからこそ、どれだけ理想的な相手でも、「自由を手放す」という選択はしなかったのでしょう。

結果としてこの恋は実らなかったけど、
田嶋さんの人生において大きな意味を持った経験だったことは間違いないと思う!
田嶋陽子の結婚観とは?女性の自由と自立を貫く生き方に迫る!
田嶋陽子さんといえば、フェミニズムの第一人者として知られる人物。
テレビや書籍、講演などで「女性の生き方」について発信し続けてきた存在です。
そんな彼女の結婚観とは、一体どんなものなのでしょうか?
経済的に自立することこそ、女性の自由への第一歩
田嶋陽子さんが繰り返し強調しているのが、「女性の経済的自立」の大切さです。
彼女の考えでは、
「女性が抑圧から解放され、自分の人生を自由に選ぶためには、まず経済的に自立することが不可欠」
だと言います。
実際、現代でもまだ「結婚したら男性が養うもの」という考えが根強く残っていますよね。
家庭の中で、女性が“従属的な立場”になってしまう構造は、今も完全には変わっていません。
でも田嶋さんは、そうした“当たり前”に疑問を投げかけています。
「結婚して男性に養ってもらうのは、もうやめるべき」
という明確なメッセージを発信しているんです。
「男らしさ・女らしさ」ではなく、“自分らしさ”を大切に
田嶋陽子さんがもっとも問題視しているのは、社会が女性に押しつける「○○らしさ」という価値観。
たとえば、
「女性は家庭を守るべき」
「男性が外で稼ぐべき」
といった固定的な役割分担。
それに従うことを当然とされ、そこから外れると「わがまま」「生意気」と言われてしまう風潮……。
そうした見えない“枠”こそが、女性の自由を奪っていると考えているのです。
田嶋さんは、そうした「らしさ」から自分を解放することでこそ、人は本当の意味で自然な気持ちに従って生きられると語っています。
結婚=幸せとは限らない。自分の人生を自分で選ぶという生き方
多くの人が「結婚=幸せ」と思い込みがちですが、田嶋陽子さんはその価値観自体を疑っています。
もちろん、結婚するかどうかは個人の自由。
でも、それが「当たり前」「すべきこと」とされるのはおかしい。
人それぞれに合った生き方があり、それを選ぶ自由があるべきだ
と、田嶋さんは伝えています。
結婚してもしなくても、自立して自分の足で立って生きること──。
それこそが、田嶋陽子さんの考える「本当の幸せ」なのかもね!

まとめ:田嶋陽子の人生に学ぶ“自分らしさ”の大切さ
田嶋陽子さんのこれまでの人生を振り返ると、決して「結婚しなかった人生=孤独」ではなく、
むしろ「自分を大切にし、自分の価値観に正直に生き抜いた人生」だったと言えるのではないでしょうか。
彼女は、社会の「こうあるべき」という固定観念に真っ向から疑問を投げかけ、女性の自由と自立の重要性を生涯を通じて訴え続けてきました。
若い頃には、貴族出身の恋人との情熱的な恋愛も経験しながらも、自分の人生観にブレることなく、あえて“自由な道”を選んだ田嶋さん。
結婚しないことも、誰かに依存しない生き方も、「一つの幸せの形」として胸を張って生きられる時代だからこそ、彼女のメッセージはますます響きます。

僕たちも、田嶋陽子さんのように、
「自分らしい生き方とは何か?」
を改めて考えてみるのもいいかもしれませんね。